Jポップの日本語

歌謡曲からアニソン、童謡まで、歌詞を読み解く

UFOロボ グレンダイザー

 アニメの歌詞も馬鹿にしちゃいけないよ。短い言葉で作品の本質を語っているものがあるからね。一九七〇年代のロボットアニメでマジンガーシリーズが三作あったろ。『マジンガーZ』(一九七二〜七四)、『グレートマジンガー』(一九七四〜七五)、『UFOロボ グレンダイザー』(一九七五〜七七)。

『Z』(作詞、東文彦)や『グレート』(作詞、小池一雄)の主題歌は〈とばせ鉄拳 ロケットパンチ〉とか〈必殺パワー サンダーブレーク〉といった武器の名前を連呼していたけど『グレンダイザー』にはそれがない。『グレンダイザー』(作詞、保富康午)のはヘンな主題歌で、〈守りもかたくたちあがれ〉とか〈守れ守れ守れ人間の星〉って歌っていて、攻めるより守るほうに力をいれているんだよ。歌詞の二番になっても〈攻撃軍をくいとめろ〉〈悪の望みをはねかえせ〉だからね。敵をやっつけろという歌詞ではない。守りに専念するという思想がある。他にも〈大地と海と青空と〉とか〈友とちかったこの平和〉〈正義と愛とで輝く〉とか、自然を愛する腑抜けな平和主義者みたいな歌詞だった。

 ただ、同じく武器の名前を呼ぶとしても『Z』と『グレート』では文脈が違う。『Z』の主題歌は、〈くろがねの城〉のように大きい〈スーパーロボット〉があるよ、武器もすごいでしょ、とロボットの存在それ自体に対して驚異と賛辞をおくる歌詞なんだ。それが『グレート』では〈俺は涙を流さない〉とロボットの非情さが強調される。涙は流れないけど〈燃える友情〉は〈わかるぜ〉という。だけどそれは〈キミといっしょに悪を撃つ〉ための友情なんだ。テレビの向こうにいる〈キミ〉を戦場に引き込むために友情を偽装したものなんだぜ、怖いな。他にも〈悪いやつらをぶちのめす〉というように好戦的で、武器は敵を効率的に倒すための道具なんだ。『グレート』は「倒すべき相手」のことに全てが収斂していく。それに対し、『グレンダイザー』は「守るべき対象」へと視線を転じている。子どもにとっては『グレート』がハードすぎたんで、ソフト路線に変更したんだろう。

 面白いのは『グレンダイザー』のオープニングでは武器の名前は出てこないけど、エンディングには〈切り裂け怒りのダブルハーケン〉とあって攻撃度がアップしている。こちらのほうがむしろオープニングっぽい。実はこのエンディングは『グレンダイザー』のパイロット版ともいうべきアニメ映画からの流用だから、こちらが主題歌っぽいのも当然。ただこちらにも〈地球の緑の若葉のために ただ一輪の花のために〉と自然への愛を語る歌詞がついている。それと『グレンダイザー』はオープニングもエンディングも歌詞に主人公の名前〈デュークフリード〉を取り入れている。『グレート』が非人間的だったので、今度は人間性を強調したというわけだ。

 グレンダイザーは日本よりフランスでのほうが人気が高い異色作だ。マジンガーシリーズでは世界観が異なる作品で、前作に強引に接続した感じがする。これが同じシリーズであることを担保しているのはロボットのデザインに共通性があること。宇宙人が作ったものなのに地球人が作ったものとそっくり。丸みをおびた白黒ツートンのボディと、胸と頭部の赤、耳の黄色などが共通している。

 デザインについて言えば、グレンダイザーの特徴は大きなツノだね。あれはウルトラマンタロウの影響かな。グレンダイザーのあとガイキングもそれを取り入れた。あの頃、頭に牡牛のような巨大なツノをつけたマッチョなデザインが流行ったんだ。ジャンルが成熟してくると差異化するために尖ったところが増えてくるんだな。

 グレンダイザーの頭部のデザインは海賊ふうでもある。『小さなバイキング ビッケ』(一九七四年)っていうアニメがあって、あのヘルメットとそっくりだった。ビッケといえば俺が鼻をこするのはビッケの影響なんだよね。ビッケは人差し指で鼻をこするといいアイディアが浮かぶんだよ。小さい頃に再放送で見て真似してたら癖になっちゃった。

鉄腕アトム

 話がそれますが、谷川さんは作詞もしていて、一番有名なのは『鉄腕アトム』の主題歌です。五〇年以上前のアニメですが、〈空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞアトム ジェットの限り〉という歌はみなさんも知っていると思います。私はこの歌詞に違和感がありました。〈空をこえて〉というけれど、空って越えられるものなのかということです。山を越える、峠を越える、海を越えるとは言いますけど、空を越えるとは通常言いません。「越える」というのは、境界を通り過ぎるということです。山や海はある範囲として分割することができますから富士山とか日本海といった固有の名付けをすることができます。それらを「越える」ことは可能です。ところが、空はのっぺりとしていて境界はありません。領空権というのはありますが、それは地上の権利を空に延長したもので、空じたいに目印があって区切られたものではありません。ネットには「あの空をこえて」という用例がありましたが、範囲が曖昧であっても「あの」と特定されれば「越える」ことは可能です。ということで〈空をこえて〉という歌詞は不思議だなと思っていたのです。

 でも、歌詞をよく読むと、この後は〈星のかなた〉と続くんですね。アトムは〈空をこえて〉〈星のかなた〉へ行ったんです。空を地表と並行して考えていたから区切りはないと思っていたけれど、垂直方向で考えると、地球の大気圏(=空)を越えて宇宙空間に出ていったということであれば、空にも区切りが生じるので、「越える」ことができます。アトムのジェットで大気圏を突破できるかわかりませんが、それは詩的誇張です。〈空をこえて〉と〈星のかなた〉のつながりが〈ラララ〉で遮られていたからわかりにくかったんですね。

山口さんちのツトム君

 カラオケで山口は意外な歌を歌った。〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ どうしたのかな〉という「山口さんちのツトム君」(作詞、みなみらんぼう、一九七六年)である。

「もしかして山口さんて、ツトムさんっていう名前なの?」と、なつみが聞いた。

「そうなんだよね。いつも自己紹介がわりに歌うとウケるんだ」山口は苦笑いして答えた。「短いけど、よくよく歌詞をみると謎めいた歌だよな」と、西が興味深そうに言った。「ツトム君は最近、元気がないけど、それは何故なのか。子供の視点から描写されているために表面的なことしかわからない」

「え、何が謎なんですか」と、山口は驚いた。「だって〈田舎へ行ってたママが 帰ってきたら たちまち元気に なっちゃって〉とあるじゃないですか。ママがいなかったから元気がなかったんでしょ」

「だから、ママはなんのために田舎、つまり実家に里帰りしてたのか、ということだよ」

「何か用があって実家へ帰っていたんだと思ってました」

「何の?」

「そうだなぁ、高校の同窓会とか、実家でお葬式があったとか」

「同窓会だったら一晩留守するだけで帰ってくるだろうし、葬式だったらイチゴがお土産ってのは変だな」

「そうか。じゃあ、夫婦喧嘩をして実家へ帰ってしまい、頭を冷やして戻ってきたのかな。これならツトム君が元気がなかったこともわかる。なんか感じとっていたんですね」

 なつみは、「ママが出産のため里帰りしていたのかも」と、言った。

 謎解きの話になってから、誰も次の歌を歌っていない。西は山口にもう一度、今の歌を歌ってくれと頼んだ。二分ちょっとの短い歌である。山口は注目されていることに少し照れながら歌った。みんなは画面の字幕をじっと見つめている。歌い終わると、早坂はミュージックの音量をそっと下げた。

 西は探偵にでもなったように推理を開陳した。

「まずは、ママが不在にしていた期間がどのくらいか考えてみよう。ツトム君がおかしくなったのは〈このごろ〉とあるから、数日か一週間のことだろう。女の子が誘ってもツトム君が反応してくれなければ、やがて女の子もあきらめてしまう。一週間もろくな返事がなければ、声をかけるのは億劫になるだろう。だが女の子がツトム君を見放す前に、ツトム君のママは戻ってきた。ママは出産のため一か月も留守にしていたというわけではなさそうだ。そもそもママが赤ん坊を連れて戻ってきたという記述もない。仮に赤ん坊を連れてきたら、ツトム君は何事もなかったように〈たちまち元気になっちゃって〉ということはないだろう。とまどうはずだ」

「〈たちまち元気になっちゃって〉というのはちょっと皮肉っぽい言い方だと思います。女の子にしてみれば、自分が何回誘っても効果がなかったのに、ママの姿をみたとたん元気になるわけですから」と早坂が言った。

「いろいろ考えると、やはり夫婦喧嘩でママは実家に帰っていたのかと思える。ツトム君もママがいない理由を薄々気づいている。帰ってこない可能性も予想している。他のことに気が回らないくらい落ち込んでいるんだ。

 それに比べて女の子はお姉さん的というか世話焼きだよな。毎日声をかけてくれるみたいで、色んな方法を試している。広場で遊ぼうとか、絵本を見ようとか、かなり違う誘い方をあれこれ試みているのに一様に拒否されている。雨の日も見に来たようだし、朝も声がけしている。さっきの尾崎の歌じゃないけど、心を開いてと言っているんだよ。朝なんか返事すら返さないからね、ツトム君は。高齢者の見守りなら通報レベルだよ。これまでもツトム君は、女の子が誘いにきても気がのらない時は応じなかったんだろうね。あの手この手で誘ってみるが、どれも効果がない。心配ということもあるが、女の子にとっても遊び相手がいないので自分も〈つまんない〉んだね。ここがお姉さんタイプとはいえ、子どもらしいところだ。自己中心性が残っている。女の子も寂しんだよ。お互い兄弟もいなさそうだし、近所に他に遊び相手もいない」

「女の子が〈つまんない〉というのは韜晦じゃないですかね」と早坂は言った。「〈つまんない〉とでも言わないと子どもらしく見えないから、そう言ったのです。この歌はちょっと物悲しいです。それはどこから来ているかというと、女の子は無力だからです。山口さんの家で起きていることに女の子は介入できないんです。もしかしたら大変なことが起きているかもしれない。それでも他人の家で起きていることに他の家の人は同意なく手出しできないんです。ツトム君に〈あとで〉と拒否されてしまうと、家の中に入っていけない。外から見ているしかないんです。それは子どもというだけでなく、よほど緊急事態でなければ大人も手出しできない。田舎だったら共同体の名残がありますから、もっと介入してきますけど、都会だし自分の家のことは自分で解決するのが原則だからお節介なことはしてこない。他人の家に干渉しすぎないというのが基本ですが、この女の子はまだ子どもなので、斥候となってよその家を覗けるんですね。ただ、この女の子も、これ以上ツトム君の家に深入りするのはまずいということがわかっているから、〈つまんない〉という自分の事情にして、気持ちを引き上げてしまうんです」

 香織も感想を口にした。「ツトム君は女の子と遊ぶくらいだからちょっとおとなしい子どもだと思います。そういう子どもだから母親がいなくなるとてきめんに元気がなくなる。外で遊んで気を紛らわすのではなく、家に閉じこもってじーっと考え込んでしまう。勉強はできるんでしょうね。ツトム君ていう真面目そうな名前はふさわしいと思います」

 なつみも自分が経験したとばかりに発言した。「お母さんが帰ってきて、〈たちまち元気になっちゃって 田舎のおみやげ持ってきた つんだばかりのイチゴ〉というところの〈持ってきた〉が可愛い。ツトム君が、お土産のイチゴを女の子のところに走って届けに来たのかな。女の子が自分を心配してくれていたことに対して、ありがとうっていう気持ちが伝わってくる」

「田舎のおみやげが〈つんだばかりのイチゴ〉というのは、ママの実家でとれたものだということだろう。ママの親が、「これでも持ってけ」と言ってくれたんだろうね。旅行に行ってきたわけじゃないから商品としてのお土産を買って帰るのもおかしい。とりあえず手近にあるものを持って帰ったわけだ。だからそのイチゴは自家消費用であり商品として売れるようなものではないし、まだ熟してもいないから〈チョッピリすっぱい〉んだ。もちろんその酸味はママ不在事件の顛末を象徴してもいる。〈すっぱい〉というのは、もしかしたらこの女の子はツトム君のママが居なかった理由を知っているかもしれないとも思わせる、こましゃくれた発言だ。すっぱさの意味は女の子にはわかっている。たんなるお土産というより、引き換えにつらい経験をしたわけだからね、ツトム君は。ツトム君は結構喜んじゃってるんだけど、総括的にすっぱいよねと言っているんだ」

「この女の子はなんだかマセた感じがしますね。直感的に事情をわかっていたのかな」と、山口が言った。

「この歌じたい、マセた感じがするんだよ。それは、〈山口さんちのツトム君〉という呼び方にある。ツトム君は絵本を楽しめる一方で三輪車を大事にしていることから四歳前後だろう。女の子もそれに近い年齢だ。だがその年齢でいくらおマセとはいえ、友達のことを〈○○さんちの○○君〉などと言うか。この場合、たんに〈ツトム君〉だろう。〈○○さんちの○○君〉というのは大人の言い方だ」

「そうですね。今は逆に、母親のことをツトム君ママなんて言ったりもするけど。私の友達のお母さんは子どもの名前で呼ばれてるって。私には自分の名前があるのにって嘆いてました」と、香織。

「この歌は七〇年代だから。まだそういう子ども中心の言い方はなかったろう。むしろ家を中心にして呼んでいた。どこそこのお宅の子どもとか。〈山口さんちのツトム君 このごろ少し変よ〉という言い方は、おそらく、この女の子の家のお母さんが、お父さんにむかって「山口さんち、このごろ少し様子が変なのよね」などと言っているのを聞いて、女の子が覚えたんだと思う。それを九官鳥みたいに口真似してるんだ。出産で里帰りしたならよその家の親もそのことを知っているはずだから、漠然と〈変よ〉なんて言わないはずだ。子どもどうし仲が良いなら、親どうしもお互いの家の情報をある程度共有しているはず。それなのにツトム君の様子が〈このごろ少し変よ〉としかわからないのは、母親が家にいないことを知らないからだ。ツトム君のママは、「しばらく実家に帰っているのでうちの息子をよろしく」なんて挨拶できなかった。つまり、よその家に知られたくない事情で帰っている。女の子の家でもだんだん情報を仕入れて、どうやらこれはツトム君の問題ではなく、山口家の問題なのだということがわかってくる。ツトム君の父親も元気なさそうだ、夫婦喧嘩して里に帰ったんじゃないのとか、噂をする。それを耳にして女の子も「ははーん」ってなる」

「ツトム君のパパの姿がありません」と、早坂が指摘した。

「パパは姿を見せないところでいろいろ動いているのさ。パパは平日は仕事で忙しいし、休みの日は、ママが戻ってくるよう実家に働きかけたり、実際迎えに行ったりしたかもしれない。ツトム君のことはかまってられない。だから〈大事にしていた三輪車 お庭で雨にぬれていた〉と三輪車は放置されたままなんだ。ツトム君は、家に閉じこもったままだし、パパも片付けている暇はない。この三輪車が片付けられないままにあるというのは、事態が急に動いたということをも意味しているね。片付ける間もないほど急いでママは出ていった。もちろん、雨晒しの自転車は寂しいツトム君の姿の比喩でもある。

 三輪車が庭にあるということは山口さんは一軒家に住んでいるということだ。七〇年代に母親をママと呼ぶのは都会的な家庭だよ。遊び場は原っぱでなく広場だし、絵本を見るとかもそう。泥んこ遊びなんかしない小洒落た家庭だ。そもそも〈田舎〉を二回も繰り返すことで、自分たちは都会に住んでいることを反対に言っているようなものだ。ママは何日も実家に帰るのだから仕事をしていない専業主婦。パパ、ママ、子どもの三人家族だな。ツトム君はママがいないと意気消沈してしまうし、ママが戻ってくると途端に元気になる。遊び相手は女の子で、ちょっと逞しさがない。一家は、理想のマイホームを手に入れていっけん幸せそうだけど、核家族は家族の一人が欠けただけでも崩壊してしまうという脆さがよく出ている。それはこの歌を歌う女の子も同じなんだろうけど」

「そういえば、半年後にこの歌のアンサーソング「ユミちゃんの引っ越し」が同じ作者でつくられてます。遠くの町に引っ越しするユミちゃんが泣いていたという」と、山口が教えた。

「ユミちゃんは引っ越しすることがわかってたのかな。それでツトム君のことが一層気にかかった」西は興味をもったのか、食いついてきた。

「どちらの歌も大切な女性が遠くに行ってしまうという歌です。でもママのときは落ち込んだけど、ユミちゃんのときは泣かないし、お小遣い貯めて会いにいくとか、手紙を寄越せとか妙に行動的になってるんです」

「ツトム君も成長したんだろう。ちょっと、この歌も歌っみて」と、西がリクエストした。

 山口は、僕知ってるんで、と歌うことになった。

 歌を聞いた西は感想を言った。「うーん、これだけ短い歌に語尾の〈よ〉〈ね〉が繰り返されてうるさいな。〈むこうへついたらね きっと手紙を書いてよね〉とか。「山口さんちのツトム君」は〈このごろ少し変よ どうしたのかな〉とあって〈よ〉〈な〉が印象的に使われているから、それを継承したのか。子どもらしさを示す役割語ということか。

 ユミちゃんは親の事情で引っ越すわけだけれど、ツトム君もお互い子どもだからどうすることもできない。この歌もそうだけれど、ツトム君もユミちゃんも、子どもは親に左右されるんだなぁっていうのが俺の感想だな。

 あー、子どもの歌に長口舌をぶっちまったな。もうおしまいにして歌にしよう」

 講釈のあと「あー」と伸びをして、西はカラオケの曲を入れた。西が歌ったのは吉幾三の「酒よ」だった。意外に上手だ。

「西さんて、こんなド演歌歌うんですね」と早坂が冷やかした。

「この歌はね、解釈をよせつけないからいいんだよ」西が答えた。「だって〈飲みたいよ浴びるほど 眠りつくまで〉というから、いったいどんな苦悩が語られるかと思ったら〈男には明日がある わかるだろう〉と口をつぐむんだからね。〈あの頃を振り返りゃ 夢積む船で 荒波に向ってた 二人して〉というから、漁に出て何日も戻らないし、危険な目にあう仕事をしていたんだな。でもそれは〈あの頃〉のことだ。今はもう〈夢積む船〉はない。〈男には明日がある〉というのは、それに代わるきつい仕事が待っているということだろう。これはあえてその内容を語らないことで凄みを獲得している歌だよ。ウルフルズの「明日があるさ(ジョージアで行きましょう編)」(作詞、青島幸男、福里真一、二〇〇一年)という歌は、今はうまくいかなくても明るい未来を信じようという歌で、〈明日〉は夢や希望と関わっているんだけど、「酒よ」の〈明日がある〉は、待ち望まない陰鬱な〈明日〉なんだよな。

 ちょっと残念なのは、この歌はメタ演歌で、〈演歌を聞きながら〉酒を飲んでいること。この男が言いたい色々な憂さは既に〈演歌〉に歌われているんだ。だからいちいちその内容を並べ立てなくても〈演歌〉という記号で代表させてしまうんだ。逆に言うと、〈演歌〉に回収されてしまうような人生だというのが、リアルがフィクションに吸収されてしまうようで、ちょっと寂しいな。吉幾三はパロディソングで有名になった人だから、この歌もどこまで本気かわからないけどね」